妻が実家に帰省しておよそ1ヶ月が過ぎた。
その間もちろん僕は一人暮らしだ。およそ3年ぶり2度目の一人暮らし。
ただ、あの頃の6畳一間の一人暮らしとは勝手が違う。
自身の好きなものに溢れ、なんでも手の届く範囲にあった狭くも支配の行き届いた小国ワンルームと違い、今二人で暮らしている1ldk連邦は一人で暮らすには幾許か生活空間が広く、空間を持て余す。
それゆえ”ぽつねん”がいともたやすく部屋を満たす。
家は広けりゃ良いってもんじゃあない。”ワンルームの美学”というものがある。森見登美彦さんも4畳半生活に並々ならぬ執着があったように思われる。
まあそんな侘しさ寂しさに纏われつつ、それでもやはり一人暮らしは快適だ。
洗いたいときに皿を洗い、洗濯したいときに洗濯ができる。部屋の掃除もしかり。
自分のタイミングで家事ができる。これが当たり前のようだけれどとても快適なことなんだ。二人暮らしを経て気づいたことだ。
人と一緒に暮らしているとなかなかそうはいかない。相手のタイミングと折衝せねばならない。食べたいものも自分勝手には決めれない。
いわゆる「家事」を”自分のタイミングで行える”ことは、それは「家事」が「生理現象」になった、と言ってもいい気がする。
尿意を催したからトイレへ行く。
お腹が空いたからご飯を食べる。
これと同じように、
お皿が汚れたから洗う。
床に髪の毛や埃が溜まってきたから掃除機をかける。
「家事」が自身の快適な生活を求めるための生理行動となっているのだ。
家事が生理現象に変わった瞬間だった。。プロジェクトX。
(二人暮らしの時は彼女が大体家事をやってくれていた。その日早く帰宅した方がご飯を作るという不文律のもと、いつも美味しいご飯を作ってくれていた。ほんとにたまに休日に趣味感覚で料理したりはしていたけど僕が死守していたのは家事とすら言うのも憚られる「皿洗い」ぐらいだった。それも寝落ちしてやり損ねて彼女がやってくれていたことも多々あったな。。全然死守できていないエラー多数のポンコツ守備でした。。)
つまり何が言いたいのかというと、「家事」というのは自分以外の人間の生活の快適も支えて初めて「家事」と言えるということ。
一人暮らしの「家事」は家事じゃなく「生理現象」だということ。
ちょっと自分でも何言ってるかよく分かりません。どうかあとは感覚で読み取って欲しい。
別に一人暮らし最高!と言いたいわけじゃなく、いや、実際最高なんですけど、二人暮らしも最高です。気の置けない人が同じ家に暮らしていることで救われることが何度もありました。
そして、来年の春頃には3人暮らしになる予定だ。
妻は里帰り出産のため、現在帰省している。