令和6年元旦から2月10日までの


2月10日、父の四十九日法要をす。

ひとまず喪明け。

 

やり残しのない別れなんてものはないのだろう。

彼のことを何も知らないままだったな。

好きな食べ物、好きな映画、好きな音楽。

好きな季節や座右の銘、名前の由来、母への思い。

 

父が40の頃、僕が生まれた。

僕は来週で35。父の人生の半分にも満たない時間しか、一緒に生きていないんだ。

今後、叔父たちから父との思い出話をちょっとずつ聞き出して酒の肴にさしてもらおう。

 

 

 

僕の知る父は。

破天荒を気取っていたが、そのくせ文句の一つも聞かすことなく高卒から入社した会社を定年まで勤め上げた。真面目か。

 

僕が私立高校に自己推薦で合格した時、金かかるじゃねえか、と一言だけ言ってきた。ケチか。

でも、僕も父になった今なら少し気持ちわかるよ。お金かかるよな。でも息子にそんなこと言ってやるなよ。僕は言わないぞ絶対に。

 

大学に入ってタバコを覚えた頃、それに気づいた父は怒るでもなく「俺なんか小学生の頃から吸ってたぞ」と勝ち誇っていた。ガキか。

 

僕が社会人になってからは、「その仕事面白いのか?」「やりがいはあるのか?」と転職するたびに毎回1度だけ尋ねてきた。

2回とも適当にあしらった。ただ、その問いかけから父の仕事に対する姿勢や自負が見えてきて、その頃やりがいも面白みも感じずに働いていた僕は後ろめたい気持ちになったことはしっかりと憶えている。

 

結婚をして、披露宴に来てもらった時、なんだか神妙な顔をしていたな。

娘を嫁に出す父のような顔だった。あれはどんな感情だったんだろう。

聞いておけばよかった。

 

初孫が生まれて、今まで見たことのない笑顔で接していた。実家の目の前にあるヨーカ堂に孫を抱っこして連れてって懇意の定員たちに孫を見せびらかしていた。本当に可愛がってくれた。

 

ガンが進行してガリガリに痩せたあなたをはじめて見た時、涙が止まらなかった。

物心がついてからほとんど見た目が変わらなかったあなたが、一瞬にして30年くらい老けてしまったようだった。

ランニングが日課だったあなたがトイレに行くにもしんどそうにしていた。

 

それまで帰省するのは年末年始と長期連休くらいだったけど、頻繁に帰るようにした。

実家に帰るたびになんの芯かわからない、1メートルくらいの紙管に孫たちの身長をマジックで刻んでいた。1ヶ月くらいしか立ってないから1cmくらいしか身長変わってないのにそれでも嬉しそうに毎回測ってそれぞれ日付を書いていた。

 

あんなに可愛がってくれた孫をたった3年間しか成長を見守れなかったのは心残りだったろう。おそらく孫たちも将来おじいちゃんのことを覚えていない。

ランドセルくらいは買って欲しかった。いや、学ラン姿かブレザー姿くらいまでは当然の如く見てくれると思っていた。見通しが甘かった。

 

特に仲のいい父子関係でもなかったけど、社会に出て父と近い世代の人間と接することも増えて、逆輸入式に父の忍耐や強さ、逞しさに気づいた。

 

 

息を引き取る2、3日前に病院で苦しそうにしているあなたに言えた。

「辛い時もあったけど、今は生まれてきてよかったて思ってるよ。」

それどころじゃなかったかもしれないけれど。ちゃんと聞こえてたかな。

自己満足でごめん。

あ、今の仕事楽しくてやりがいあるよと伝え忘れた。

 

まさか適当に自販で買ったなっちゃんのリンゴジュースが最後の食事になるとは思わなかった。忘れられない飲み物になってしまった。

 

僕が子供の頃あなたがよく着てたラコステのポロシャツがなんだか印象的で

香典返しにラコステのタオルを選んだ。

 

駅前の居酒屋でキープしてあったままのキンミヤのボトル、引き継いだから、

省る度に飲むよ。

 


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