令和五年七月七日

仕事の帰り道、車に轢かれたのか、潰された鳥のヒナがアスファルトに引っ付いていた。

近くに鳥の巣は無さそうな、大通りから脇道に入ってすぐの路上だった。

親鳥はどんな思いをしているだろう。我が子のいない巣を見てどんなに焦ったろうか。

そんなことを思いながら、でもその残酷な命の終わりの景色を忘れようと努めた。

 

今年の七夕は曇りだった。傘を差すほどでもない雨が少し降ったが、大概は曇りの終日だった。個人的に七夕は雨の特異日だと思っている。実際はどうか分からないが、毎年織姫と彦星は今年も会えないんだなと、降っている雨を見ながら思っているのでそういうふうに感じている。梅雨なので当たり前なのだが。

 

家に帰って、夕飯を食べて(買っておいてくれたサブウェイ。メキシカンミートタコス)そろそろ皿洗いかシャワーでも、と思っていた頃に電話が鳴った。母からだった。

昨日、来週に控える孫の誕生日に合わせてカタログギフトを送ってくれたらしいと妻から聞いていたのでその報告の電話かと思った。

電話に出ると、主語もなく病院での検査結果が悪くてー、と話し始めた。嫌な予感がした。

よくよく聞いてみると、

父が先週から入院していること。

肝臓がんであること。

余命3ヶ月であること。

とのことだった。

あと、万が一の際、肋骨を折ってまで心臓マッサージを行うかどうか決めて下さい、と聞かれたそう。母はどうしたらいいか分からない、と回答を保留したらしい。

 

言葉が出ず、相槌すらも涙がこぼれそうで黙っている僕を知ってか知らずか母は淡々と状況を伝えている。

 

いや、早くないか。僕はまだ30代だし、孫はまだ2歳と0歳だ。勝手に孫が中学生、高校生くらいまでは少なくとも生きていると思っていた。いや、まだ死ぬと決まったわけじゃないか。

でも、それにしても。

 

父は自身がガンであることは知っているが、余命のことは知らされていない。その情報は患者の生命力を奪うから、と医者は言ったそうだ。

 

2ヶ月程前に父は膵臓の数値が悪く入院していた。薬を投与して回復し、程なく退院したが結局それがガンだったらしく、既に肝臓に転移しており手術では取り除けない程進行していたことが今回分かったそう。

2ヶ月前というのが折り悪くゴールデンウィークで我々が帰省したタイミングだったのでその時結局会えず仕舞いで今に至っている。

 

連絡が遅い母に腹が立ったが、母の方がはるかに辛いのだろうと思い直し連絡してくれてことに感謝を伝え電話を切った。

 

妻にはすぐに伝えられず、皿洗いをしてシャワーを浴びた。さめざめと泣きながら。

 

怖かった。これから失うであろう人の顔が浮かんできた。

父、母、祖母、叔母、叔父、兄。耐えられそうにないな、と思った。ゾッとした。

だから人は子を生むのだろう。失うだけの命じゃ絶望が過ぎる。新たな命に希望を託さなきゃやってられない。

そんなことを思った。

 

次に後悔が襲う。居酒屋の誘いを断ったこと。先月帰省しなかったこと。

いなくなってからじゃ遅い。失ってから初めて気づく。

手垢に塗れた慣用句が襲ってくる。

 

シャワーから出て、少し落ち着いたので妻に伝える。出来るだけ無感情に一息で。

泣かずにうまく伝えられた。

 

来週、ひとまず実家に帰ることにした。