3月23日

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高校生の頃から我が人生の師匠、と勝手に崇拝しているTOMOVSKY


TOMOVSKY - 脳(PV)

トモフスキーの書く歌詞が僕の心のど真ん中を撃ちすぎて、まるで自分の心の内を記した大事な日記のような存在になってしまって、一切他人に愛聴していることを隠していた。

エレ片もそうだった。唯一、エレ片トモフスキーが好きだ、と伝えた大学の友人がいる。

元気にしているだろうか。

 

『ムカシミタイニハアソベナイ』という曲で彼はこう歌う。

こんな感じで こんなしくみで 

遊び仲間は減ってくんだろうか なんだかなんだか なんだかね

スピードが 行き先が

少しずつズレて離れていくのを 僕らは気づいてた

ムカシみたいには遊べない

ムカシのようには遊べない

 

昨晩、布団にくるまって最近友達と遊んでも何だか上手くのめり込めないなーと考えていたら何年も聞いていなかったこの曲をふと口ずさんでいた。

まざまざと今の自分の気持ちを現していた。さすがです、師匠。

 

 

以前は気にも留めなかった会話中の少しの間や会話の内容。

遠慮、モラル、マナー、気遣い、デリカシー

そういったものがごちゃごちゃと混ざり合って”ムカシ”みたいに腹を割って話せなくなってしまっている。

いい年になってきて、結婚の話題も、出産の話題も、突っ込んだプライベート話も、仕事の話も躊躇してしまう。相手を不意に傷つけてしまわないよう”失礼”を気にして口ごもってしまう。 なぜ、大人がよく天気の話をしているのかがわかった。天気の話題は誰も傷つけない。

 

それぞれいろんな生き方がある。個性とか多様性とか呼ばれている。尊重する余り、逆にそれに囚われてしまっているのではないか。

そうだとして、じゃあどうすればいいのか馬鹿な僕にはよくわからない。